「茶碗の曲線」とリモートセンシング

 

皆さんご機嫌いかがでしょうか。またしても更新が空いてしまいました。

気がつけばすっかり秋。私が信州に来てから一年が経ちました。

皆さんのおかげで何とか干からびずに生きております。ありがとうございます。

 

 

ところで先日、中谷宇吉郎の随筆「茶碗の曲線 ――茶道精進の或る友人に――」を読んでみました。 

 

中谷宇吉郎の弟は、人類学を研究するなかで、土器の形状を定量化して分類に役立てようと試みました。

土器の形状、より具体的には湾曲率を測り、そこにパターンを見出すことで、時代や地域ごとの特徴を定量的に表現しようとしたのです。 

 

ところが実際にやってみると「どのくらい精密に測れば傾向がつかめるのか」が案外難しい問題として立ちはだかります。

古い土器にはどうしても歪みや損傷があるので、工業的に作られた後世の焼きものとは違ってひとつとして同じものは無い。かと言って精密に測りすぎると誤差が大きくなってしまい、却って傾向が見えにくくなってしまう。

結局その弟は研究が行き詰まったまま病気で亡くなってしまったそうです。

 

 

リモートセンシングで画像相手の解析をしていても、似たような問題に突き当たることがあります。

近年のドローンやカメラの発展は凄まじく、私が使用しているドローンは上空50mからでも1ピクセルが約1cmという解像度を誇ります。植物の葉っぱの形までよく見えます。

 

私の研究はその画像から目的とする雑草の有無やその量を推定しようというわけですが、あまり細かく分けても影や画像のノイズの影響が強く出てしまって、バラツキが大きくなって推定がうまくいきません。

実際に雑草を管理する時のことを考えても、雑草の生育は数十cm〜1mのメッシュを単位として把握できれば十分でしょう(雑草そのもののサイズにもよりますが)。

 

 

私は地元の福井県にいた頃、仕事の傍ら陶芸を学んでいました。

越前の技法は輪積みが主流で、紐状の粘土を輪っか状に積んでいくことで上に向かって器を形づくっていきます。高さごとに成形していくという点では、現代の3Dプリンターに近いやり方と言えるかもしれません。

 

次にどのくらいの長さの粘度紐を積むか、というときは当然、次の段の器の直径をどのくらいにするか、ということを意識しなくてはなりません。

口を広げるのか、すぼめるのか、あるいはそのままの口径で真っ直ぐ立ち上げるのか。また、粘土紐の太さは、器の厚さに繋がってきます。

 

積む段の高さを細かく分け、一段にちょっとずつ積むようにすれば狙い通りの形ができるかというとそうではありません。

そもそも粘土の紐を際限なく、タコ糸のように細くできるはずはありません。大きな甕を作るときは腕ぐらいの太さの、手のひらに乗る茶碗を作るときは指くらいの太さの紐を積んで、丁寧に撫でつけながら積み上げていきます。

 

全体のバランスを意識した上で細部をどうするかを考えないことには、結局その器は歪なものになってしまうでしょう。

 

 

中谷宇吉郎は言います。「茶碗の味を愛惜する心は、科学には無縁の話としておいた方がよいように思われる」と。

 

茶碗でお茶を飲んでいると、その手触りや口当たりや熱の伝わり方に注意がいきます。この掌の上の、粘土鉱物が熱で硬化した物体の形状や質感を捉えるには、どのスケールで感じ取れば良いか。

その模索の中で、感覚が調整されていきます。チューニングのようなものです。

 

日常生活の中でどういう仕事をしているか、例えば、研究室で精密な実験をしているか、力仕事をしているか、人と話をしているか、文字や数字を操っているかによって、感覚のスケールは変わってきます。

 

たまには普段と違うことをして、違うスケール感の世界に遊ぶというのも面白いし、科学によってそのスケールを規定されてしまうのは惜しい気がします。

逆に、一概に規定しえないからこそ、今日でも人は茶碗に魅せられるのでしょう。