「何も無い」とか,アホぬかせ.
九月を以て伊那谷での三年にわたる修行を終えまして,
今年度いっぱい半年間だけ,九州宮崎に来ております.
で,どこの地域に行っても地元の人が言うのは
「ここは何にも無い」ってなこと.
宮崎なんて,有名な人誰も出てないし・・・何言ってんの.
財部彪と若山牧水と温水洋一を輩出しておいて,その言い草は無いだろう.
大体,こんなに長く砂浜が続く風景自体,珍しいんだからな.
越前生まれの私にとっては,海といえば二時間サスペンス的な断崖絶壁なんだから.
でも,そういう地形が生み出す生態系や風景もまた,私は好きだけどね.
ズバリ言っても良い?(福山雅治風に)
地域に魅力が無いんじゃない.
そう言う人に愛とセンスと教養が無いだけだ.
土地には地球の変動の歴史が表出しているわけで.
そこにある程度の期間人が住み続ければ,文化も根付くわけで.
それを無と断ずるのは,墓石を平然と踏みつけるようなもの.
謙虚さとは対極にある,極めて傲慢でバチ当たりな考え方だと思う.
芸能人でも,一個一個のパーツはそれほど良くなくても,全体としてカッコいい人やキレイな人はいて,そういう人は代えが効かない.
しかも,そういう人は三十過ぎてから人気が出ることが多い.
日本の各地域はそれぞれ長い歴史があるんだから,目立つものやわかりやすいものを切り取るような安いアピールは止めた方がいいと思う.
魚沼産コシヒカリに,沖縄産アグー豚に,枕崎産鰹節に,田子産ニンニクを使用しております・・・って,
食材としてはどれも立派なものだし,それで何を作ってもとりあえず味は良いだろうけど,そこに何の物語があるのか.
地域おこしとは,フランケンシュタインのパーツを東京に供給することじゃない.
そこにあるものの物語を紡ぎ,体験を共有することだ,と私は思う.
「なぜこれがこの地域で食べられているのか?」「何がこれを美味しくしているのか?」を分析的に追求する.
同時に,実際にその地域に行って得られる体験,ライブでしか味わえない感覚を伝える.
で,私はどちらかというと,前者の方が得意な気がする.とはいえ,後者もやらんといかんだろう.
喋りやイベントは,あまり欲張らずに目的を明確にすれば,それほど怖がるようなものでもないらしい,ということを最近知った.
地道に調べて,表現していこう.