人生で大切なことは、すべてゲームから教わった(?)

これまで、仕事・勉強・研究の傍ら、たくさんの本を読んできたし、たくさんの映像作品も見てきた。
この国が平和でかつ文化資本の蓄積があることに、感謝せねばなるまい。
(それが今後どれだけ続くか不安な面もあるが、僕たちの世代で失うような情けないことにはしたくない)
 
しかし、これまでに触れたものの中で最も影響を受けているのは、ゲームなのではないかと思う。
仕事や研究の中で、過去のゲーム体験がよみがえることがある。
「iNaturalist」に初めて触れたときは、自分のスマホポケモン図鑑になったように感じた。
ドローンの空撮画像を眺めていたら、「ファイアーエムブレム」のマップを見ているかのような錯覚を覚えた。
 
 
ゲームづくりからは、多くの示唆を得ることができる。
このことに気づいたのは、田中圭一氏の漫画「若ゲの至り」を読んだ時だった。
そこでは、名作を生みだしたクリエイターたちが、苦闘の先に何を実現したかが描かれる。
ソフトは数千円(時には数万円)の価格に見合うものでなければならないし、アーケードゲームは10分間のプレイで次なる100円玉を投入させなければならない。
限られた時間の中で、自分の欲求が満たされる(ことが期待できる)体験を提供する必要がある。
それは、表現やプレゼンにおいても、すごく重要なスキルだと思う。
 
休日に繰り返し観るのは、任天堂公式チャンネルにおける「○○○のつかいかた」シリーズである。
大乱闘スマッシュブラザーズSPECIAL」のディレクターである桜井政博氏が、新キャラクターの解説をする動画だ。
(ちなみに僕はスマブラシリーズは初代64版のみ)
膨大な知識と経験を持つ一流のクリエイターである桜井氏が、限られた時間の中でキャラクターの魅力を伝える。
スマブラは愉快なパーティーゲーム」という軸が守られ、親しみやすさと熱量が両立している。
僕も公私にわたって人前で話す機会が増えてきたが、最近は口調まで桜井氏に似てきた気がする。
すごくワクワクする内容を話していながら、丁寧で落ち着いた口調。高すぎるテンションでマニア以外を置き去りにするようなこともない。
 
 
任天堂横井軍平氏の「枯れた技術の水平思考」という考え方は、まさにイノベーションの根幹だ。
大事なのは、個々の要素が新しいかどうかではなく、全体として新鮮な体験を提供できるかどうか。
研究においても、最新の知見や手法をフォローするのはもちろん大事。
でもそれ以上に重要なのは、「自分たちが確実にできることを組み合わせて、何ができそうか」を嗅ぎつけることだと思う。
それに、実際に技術を使うのは研究者ではない。使いやすさと費用を考えれば、技術そのものは枯れたものの方が良い。
低コストである方が、開発する側もどんどん試行錯誤できる。
未来の「枯れた技術」を作ってくれている研究者には敬意を表しつつ、それらを組み合わせることで使いやすいものを作りたい。
 
もちろん、僕が作っているものは「楽しいもの」ではなく「役に立つもの」なので、娯楽品のゲームとは根本的に違うところもある。
それに今後はデータ解析の発達で、「万人受けするもの」だけじゃなく「個別最適化されたもの」の比重も大きくなるだろうし。
データ科学者の宮田裕章氏の言葉を借りれば、「最大多"数"の最大幸福」から「最大多"様"の最大幸福」を目指す動きが大きくなる。
ゲームにしても映画にしても、万人受けしないと制作費用を回収できない、という状況が続いた。
しかし、ハードとソフトの両面で個別最適化に要するコストが下がることで,技術をより満足度の高い形で水平展開できるようになるだろう。
 
 
以前の僕には、大学や国の機関の研究者に対して引け目があった。恥ずかしながら、嫉妬もあった。
でも今は、単にポジションや役割が違うのだと考えている。枯れた知見や技術を実用に落とし込み「個別最適化」することこそ、僕の仕事だ。
引け目や嫉妬などは,無意味なことだった。
そこには向き不向きはあっても、仕事としての価値は比べること自体意味をなさない。
 
任天堂山内溥氏の「失意泰然、得意冷然」という言葉は、仕事や研究が捗らないときに、じっくりと腰を据える勇気をくれる。
表題のようにすべてとは行かないまでも、ゲームを通して得られた体験は確実に僕の血肉になっている。