「茶碗の曲線」とリモートセンシング

 

皆さんご機嫌いかがでしょうか。またしても更新が空いてしまいました。

気がつけばすっかり秋。私が信州に来てから一年が経ちました。

皆さんのおかげで何とか干からびずに生きております。ありがとうございます。

 

 

ところで先日、中谷宇吉郎の随筆「茶碗の曲線 ――茶道精進の或る友人に――」を読んでみました。 

 

中谷宇吉郎の弟は、人類学を研究するなかで、土器の形状を定量化して分類に役立てようと試みました。

土器の形状、より具体的には湾曲率を測り、そこにパターンを見出すことで、時代や地域ごとの特徴を定量的に表現しようとしたのです。 

 

ところが実際にやってみると「どのくらい精密に測れば傾向がつかめるのか」が案外難しい問題として立ちはだかります。

古い土器にはどうしても歪みや損傷があるので、工業的に作られた後世の焼きものとは違ってひとつとして同じものは無い。かと言って精密に測りすぎると誤差が大きくなってしまい、却って傾向が見えにくくなってしまう。

結局その弟は研究が行き詰まったまま病気で亡くなってしまったそうです。

 

 

リモートセンシングで画像相手の解析をしていても、似たような問題に突き当たることがあります。

近年のドローンやカメラの発展は凄まじく、私が使用しているドローンは上空50mからでも1ピクセルが約1cmという解像度を誇ります。植物の葉っぱの形までよく見えます。

 

私の研究はその画像から目的とする雑草の有無やその量を推定しようというわけですが、あまり細かく分けても影や画像のノイズの影響が強く出てしまって、バラツキが大きくなって推定がうまくいきません。

実際に雑草を管理する時のことを考えても、雑草の生育は数十cm〜1mのメッシュを単位として把握できれば十分でしょう(雑草そのもののサイズにもよりますが)。

 

 

私は地元の福井県にいた頃、仕事の傍ら陶芸を学んでいました。

越前の技法は輪積みが主流で、紐状の粘土を輪っか状に積んでいくことで上に向かって器を形づくっていきます。高さごとに成形していくという点では、現代の3Dプリンターに近いやり方と言えるかもしれません。

 

次にどのくらいの長さの粘度紐を積むか、というときは当然、次の段の器の直径をどのくらいにするか、ということを意識しなくてはなりません。

口を広げるのか、すぼめるのか、あるいはそのままの口径で真っ直ぐ立ち上げるのか。また、粘土紐の太さは、器の厚さに繋がってきます。

 

積む段の高さを細かく分け、一段にちょっとずつ積むようにすれば狙い通りの形ができるかというとそうではありません。

そもそも粘土の紐を際限なく、タコ糸のように細くできるはずはありません。大きな甕を作るときは腕ぐらいの太さの、手のひらに乗る茶碗を作るときは指くらいの太さの紐を積んで、丁寧に撫でつけながら積み上げていきます。

 

全体のバランスを意識した上で細部をどうするかを考えないことには、結局その器は歪なものになってしまうでしょう。

 

 

中谷宇吉郎は言います。「茶碗の味を愛惜する心は、科学には無縁の話としておいた方がよいように思われる」と。

 

茶碗でお茶を飲んでいると、その手触りや口当たりや熱の伝わり方に注意がいきます。この掌の上の、粘土鉱物が熱で硬化した物体の形状や質感を捉えるには、どのスケールで感じ取れば良いか。

その模索の中で、感覚が調整されていきます。チューニングのようなものです。

 

日常生活の中でどういう仕事をしているか、例えば、研究室で精密な実験をしているか、力仕事をしているか、人と話をしているか、文字や数字を操っているかによって、感覚のスケールは変わってきます。

 

たまには普段と違うことをして、違うスケール感の世界に遊ぶというのも面白いし、科学によってそのスケールを規定されてしまうのは惜しい気がします。

逆に、一概に規定しえないからこそ、今日でも人は茶碗に魅せられるのでしょう。

 

オープンエコロジー宣言!

どうも、「岩本愁猴のスナックあぜみち」です。

 

 

随分ご無沙汰をいたしておりました。緑の滴るような良い季節になりましたね。

年度も跨ぎましたし、皆さんもこの間にいろいろあったかと思います。

私も最近考えていることを書いてみますね。

 

 

先月、日本雑草学会で発表するため東京農工大学に行ってきました。

初めてお会いする方もいましたが、京大時代にお世話になった先生やら、仕事で知り合った先生やら、以前勤めていた会社の方も来ていて、軽くはわわしておりました。

 

私の研究テーマについては少し前のブログでも触れましたが、空撮画像から地上の植生の情報が得られるようになっています。

例えば、機械学習を使って地面と植物はもちろん、大まかな植物の種類もコンピューターが自動で判別できるようになりました。

また、地表に植物が生えていると、そこからの反射光は赤や青の光が少なく、緑や赤外線が多くなる。この特性を利用し、反射光の波長ごとの強さから、地表の植物の茂りぐあいや葉緑素の量を推定できるのです。

こうした技術は農業や林業の分野で、作物や樹木の生育を測るために発達してきました。それを雑草群落に活用することで、雑草の成長や種どうしの競合を評価しようというのが、私のひそかな野望、もとい研究方針です。

 

 

生態学は昔も今も、フィールドを歩いて地点ごとにサンプルや情報を収集するのが基本です。

そこで得られるのは、地点ごとのいわば「点の情報」です。

空撮画像なら、点でなく「面の情報」が手に入る。

植物の分布や面積あたりの生育量などが広範囲に得られます。

 

とはいえ、空撮画像はお高い・・・

衛星画像は高額なうえ、撮影頻度によっては自分が欲しいタイミングの画像がないことも。

逆にドローンなら気象条件や周囲の安全さえクリアすればいつでも飛ばせますが、そんなに広範囲を一度に撮影できるわけじゃない。ある程度マトを絞らないと。

だから、歩いて得た「点の情報」をもとにして、必要に応じてドローンを飛ばして「面の情報」を得るようにすれば、効率よく対象を捉えられる。

 

 

みんなが歩いて得た「点」と空撮で得た「面」を活用して、地域の生態系や景観について考える。

私はこの手法を「オープンエコロジー」と名付けました。

「オープン」という語には、主に二つの意味を込めています。

 

ひとつは、一般の人たちに開かれているということ。

「オープンデータ」や「オープンイノベーション」と言う時の「オープン」と同じです。

情報が公開・共有され、誰でも利用できる。新しい情報も随時追加できる。

個々人がデータを可能な限り公開し、協力してデータを充実させていく。

多くの人が参加することで、従来の専門分野の枠に囚われない調査や分析が可能になります。

 

もうひとつは、情報が点だけでなくひと続きの面にもなっていること。

こちらは「オープンワールド」の「オープン」だと思って下さい。

オープンワールド」とは、「龍が如く」や「ゼルダの伝説 ブレスオブザワイルド」などのゲームに見られる、継ぎ目が無く自由に動き回れるフィールドのことです。

面的なデータから、動植物の生態や人間の活動を見ることを目指します。

更に、「ポケモンGO」のようにマップ上に自分の位置をリアルタイムで表示できれば、その後のフィールドワークにも活かせるでしょう。

 

 

私がたびたび紹介している「iNaturalist」というアプリは、この「オープンエコロジー」の考え方によくマッチします。このアプリもどんどん使いやすくなっています。これまでは基本的に英語だったけど、最近日本語になったし、学名じゃなく和名で登録できる種類も増えてきたし。

現在、このアプリを活用した自然観察イベントも企画しております。

詳細は追ってお知らせしますね。

 

表現することを侮るようなやり方は、やがて社会に致命的な停滞をもたらす。

どうも、「岩本愁猴のスナックあぜみち」です。

 

 

1月27日(土)、京都外国語大学国際文化資料館の南博史先生の講義に参加し、学芸員を目指す学生さんたちの前で話をする機会がありました。

雑草を研究している私が外大で何を?と思われるでしょう。

南先生や外大の学生さんたちは以前から福井県越前町で「フィールドミュージアム活動」と銘打って、

自然環境・歴史・生活文化などの地域資源の調査・研究を行ってきました。

私も大学を出て福井で就職して間もなく、この活動に加わることになり、生き物観察会や植生調査、田植えイベントなどに関わっていたので、

今回、こうした活動の中で私が考えた事をお話しする機会をいただいたのです。

 

 

思い起こせば初めのうちは、何となく面白そうだから顔出してただけでした。

でも、何となく参加していてもこれといって役には立たないし、いまひとつモチベーションも湧かない。

やはり何かテーマを持って、注意して見るようにしないと、と思いました。

そこで私がテーマに設定したのが、「山間地の田んぼの植生調査」でした。

もともと農学部出身で会社の仕事でも植生に関することをやっていたので、植物に関する知識は多少あった。

加えて、地域の自然環境や生活文化にとって身近な植物は重要な存在だし、

地域の植生の傾向や動態がつかめれば、農家の除草作業を効率化できるかもしれない。

そんな考えで、仕事の傍ら土日の時間を使って調査を行いました。

 

見ていくと大体は分かるんだけど、やはり分からない種類もあって、そのたびに調べる。

まさに「トルネコの大冒険」で正体のわからないアイテムを一個一個調べていくような感じですね。

そんな中から、かつて薬草や染物の材料として使われていたものや、遺伝資源として価値があるもの、

昔は普通に見られたけど最近ではなかなかお目にかかれなくなっているものなど、

パッと見はなんてことない田んぼのあぜ道で、多くの発見を得られました。

 

で、やはり調べたからにはその地域の人たちに報告しよう、となるわけです。

ヨソ者がふらっとやってきて、その辺をうろうろ見てまわって何も残していかないんじゃ、ただの不審者ですから。

調査の結果は地域の行事の中で時間をもらって発表させてもらったし、

田植えイベントの際には田んぼ周辺で採れた草で野草茶を作って振る舞ったりしました。

すると地域の方から、こんな反応が返ってきました。

「こんなに種類があるのか。知らなかった」

「見たことはあったが、名前や用途は知らなかった」

「昔は庭に生えたのを刈り取って実際に使っていた。懐かしい」

「他にも食べられる野草とかがあるなら知りたい」

私としてはちょっとした情報を提供したに過ぎないのですが、皆さん興味を持ってくれたようだったし、

更に新しい情報も得られて、発表すること自体も得るものが多かったですね。

 

 

ローマの指導者カエサルは、著書『ガリア戦記』の中にこんな言葉を残しています。

「人は自分の望みを勝手に信じてしまう」

人間は見たものを写真のようにそのまま写し取ることはできなくて、

認識するものには必ず、興味とか願望とか先入観とかいったフィルターがかかっている。

そしてそれらのフィルターは人によって違う。

同じ景色を見て、同じ経験をしても、そこから何を発見するかは人それぞれです。

 

だからこそ、自分がフィールドにおいて知りえたことや考えたことを、伝えたり表現したりするのには大きな価値がある。

もちろん、表現した内容について異論や反発が生じることはあり得ますが、

それを恐れているだけでは何も始まりません。

むしろそうした中でより整理されたり新しい視点が加わったりすることで、フィールドで得られた認識はより洗練され、一般化されていきます。

 

もうひとつ、

このところ、年下の学生からレポートやらエントリーシートやらの作り方を聞かれることが時々あります。

彼らの中で熱心な者はえてして、新しく本や論文を読んだり、新しいことを始めたりして見聞を広めようとします。

(私は学生時代、不安のあまりこれをやり過ぎて潰れました)

そうしたことは長期的には重要だけど、新しく得た情報や経験がこなれてくるには時間がかかる。

だからこそ、レポートとかエントリーシートとかそんな大仰なものにする前に、

まずは現状を整理して、手の届く範囲の人に表現してみる。

少しずつ小出しに表現していくことで、自分の経験を反芻したり、整理したりできるのではないでしょうか。

 

 

今回講義したことで、私の認識もまた整理された気がします。

伝え方はまだまだ未熟でしたが、とりあえずは表現してみるものですね。

 

場づくりの妙

どうも、「岩本愁猴のスナックあぜみち」です。

 

気がつけば年の瀬ですね!

今年一年、皆さんはどんな年でしたか?

世間のニュースは相も変わらずロクでもないものばかりだけれど、

大切なのは自分が何を為したか、ですね。

 

 

今年は越前や信州でイベントの企画に関わることが何度かありましたよ。

その中で他のメンバーと連携しながら、知識やアイデアを伝えたり、体験を提供したり。

 

当たり前ですが、イベントというものはひとつやるだけでも大変です。

時間もお金もエネルギーも要ります。

だからこそ、「やって良かった」「来て良かった」っていうふうにしたいところです。

 

最近、自分のイベントの企画や進行にしっくり来ないものを感じ、

南アルプスの麓の長谷というところに通っています。

ここでは地元の団体が「南アルプス里山案内人養成講座」というのをやっていて、

実際にこの地域でガイドをされている講師の方から、座学や野外研修を通してガイドに必要な知識や技術を教わっています。

 

 

その中で、講師の方が「場づくり」ということをおっしゃっていました。

「リスクを許容範囲に収めつつ活動のねらいを達成するためには、如何なる場をつくるかが重要」なんだそうです。

 

考えてみりゃ、単に学びの場だけでなく、何らかの目的があって人がいるところ全てが「場」といえます。

大学の講義やゼミはもちろん、他にも打合せとか、野外調査、パネルディスカッション、ワークショップ、ライブ、祭り、デート、茶会、法要・・・

 

これらの「場」というのは、ただの空間ではなくて、

「目的」なり「ねらい」なり「主題」なり、必ず何か志向しているものがあるのです。

大学の講義なら、学生に知識や技能身につけさせると同時に、あるテーマについて自発的に考えさせることが目的です。

(自発的に考えることを最初から諦めている学生や教員の如何に多いことか!)

ワークショップやパネルディスカッションは、普段できない体験や普段聞けない話を提供することで、考える機会を与えるものです。

茶会なら亭主の設えの中から、客が主題を読み解いていきます。そういう遊びです。

 

目的を達するためには何を準備しておくか。

参加者が入り込みやすくするにはどうするか。

活動の中で生じるリスクをどう管理するか。

こうやって考えていくと、より良いイベントにするために何をやらなくてはいけないか、整理できそうです。

しっかりと場を設え、目的を達することができるようになりたいもんです。

(とはいえ何事も100%満足というのはムリなんで、できることから・・・)

 

 

それでは、来年も皆さんと良き場を共有していきたいと思います。

ありがとうございました。よいお年を。

 

平成広益国産考

どうも、「岩本愁猴のスナックあぜみち」です。

 

だいぶ更新の間隔が開いてしまいましたが、開店しておりますよ。

 

 

 

去る11月23日(木)、伊那市の赤石商店にて、映画「よみがえりのレシピ」上映会&記念トークイベントが行われました。

 

前回の記事にも書いたとおり、トークイベントでは私が司会を務めました。

3人のゲストを迎え、信州の在来作物の魅力やその活用法についてお話を伺うことができました。

 

会場が一杯になるほどのお客さんに来ていただいて、本当にありがとうございました!

さすがにド緊張してしまい、拙い司会で恐縮でしたが、私にとっても大変良い修行になりました。

 

 

 

在来作物をどう活かしていくか?という議論を聴いていて、

私はふと、ある本のことを思い出しました。

 

京都での学生時代、今出川通りの古本屋で見つけた一冊の本。

それは、江戸時代後期の農書『広益国産考』。

農学者・大蔵永常が諸国流浪の果てに集大成として著したこの本には、一貫した理念があります。

 

曰く、

「国産の事を考ふるに、国に其品なくして他国より求むるを防ぎ、

 多く作りて他国へ出し其価を我国へ取入れ、民を潤し国を賑す事肝要ならんかし」。

 

ここでは、「国産」とは「土地ごとの産物」という意味。

つまり、自分たちの土地で作れるものは作って、

わざわざよそから買ってくるんじゃなくて、逆に売り出して稼ぎましょうね、

ってことです。

 

 

もちろんこれは150年以上も前に書かれた本。

21世紀初頭の日本人の食生活は、江戸時代のそれよりはるかに多様化しているため、

日々の食事で使うもの全てを地産地消にすることは現実的じゃない。

物流や情報伝達も比べようもないほど発達している。

別々の農家からちょっとずつ買うよりは、

よそから大量に仕入れた方が手っ取り早い、ということもよくあるでしょう。

狭い範囲で、しかも辺鄙な土地で作られていることの多い在来作物には、不利な条件です。

 

 

しかし、在来作物には何といってもキャリアがある。

地域の気候や土壌に適した系統が、厳しい選抜をくぐり抜けてきている。

一方で、在来作物といえども近代的な育種技術の恩恵も受けていて、

かつては形や大きさが不揃いである事に悩んでいた産地が、

試験機関の協力を得て加工や流通に適した形質に揃えた例もある。

 

加えて、在来作物が数百年の歴史の中で人の手によって選抜されてきたように、

それを使った料理もまた、人の手によって洗練されてきました。

「○○カブは甘酢漬けに最適」とか、「おやきに入れるなら××ナスじゃなきゃ」とか。

在来作物は量では勝負できなくても、ハマったときのウマさは他の追随を許さない。

チャンスに代打で出てきて確実に良い仕事するベテラン選手、みたいな感じですかね。

 

だから、在来作物の価値というのは、単に植物の果実や根や塊茎に価値があるということではないのです。

地域の気候や土壌、作業や加工のしやすさによって選抜されてきた遺伝資源としての価値や、

料理や地場産業と結びついた文化的な価値もまた、在来作物の価値と言えるでしょう。

他の地域にはない、一朝一夕には生み出せない、その土地ならではの「国産」です。

 

 

 

それぞれに地域に伝わる「国産」の価値を、まずは地元の人間が知らなければ。

今日も伊那に伝わる羽広カブの漬物がウマい。ごちそうさまです。

 

草www

どうも、「岩本愁猴のスナックあぜみち」です。

 

 

まずは告知から。

 

長野県伊那市の「赤石商店」にて、映画の上映会があります。

「よみがえりのレシピ」というドキュメンタリー映画で、

山形県を舞台に、各地域に伝わる伝統野菜を守り、現代に活かしていく人々の物語です。

 

www.facebook.com

 

そして11月23日19時からの上映会のあと、トークイベントを行うことになりました! 伊那で伝統野菜に携わる研究者や生産者、料理人の方々をゲストに迎え、その価値や魅力についてお話しいただきます。

司会は私、岩本が務めます。(実は大学院の入試の際に赤石商店に泊まったので、その縁で依頼されたのです)
ちょっと夜遅い時間にはなりますが、興味のある方は是非お願いします!

 

 

伊那谷は朝晩めっきり冷え込むようになり、植物の多くが枯れてしまいました。

でも、データは結構かき集めましたよ。

装置やソフトの使い方から学び始めて、何とか間に合わせました。

これから解析していかなくてはいけないので、この冬はヒマになることは絶対ないですね・・・

 

私の研究テーマは、「植物の分布と群落の生長速度」。

要するに、その辺の草を見てるわけです。

研究対象が草って何それwwwって、文字通り草が生えちゃうような話ですが、

こちらはあくまで真面目です。

 

最近はドローンや航空機、人工衛星によって、地上の様子を真上から見ることができます。

その画像をうまく活用すれば、雑草の種類やら量が分かるという訳です。

そうすりゃ農作業や植生管理の計画を立てるうえでベースになる情報が得られる。

 

「画像からそんなことまで分かるの?」って思うでしょ?

それが、近年急速に分かるようになってきてるんですわ。

植物の葉っぱって、光合成をしてるんです。光を吸収してエネルギーとしているのです。

この時、青や赤の光は吸収する一方で、緑の光や赤外線は反射するんですね。

植物の生えていないただの地面だと、そんな差は生じません。

その光の色の違い、つまりは光の波長の違いによって、反射率に差が出る事を利用すれば、

地上が植物に覆われていることが分かるという訳です。

更に、反射率の差や比を計算すれば、植物の量までおおよそ推定できるという訳です。

 

これまでイネやダイズといった作物、あるいは林業において樹の生育を推定するために発展してきたやり方ですが、

精度が上がってきていることもあり、植生全般に応用できると考えられます。

 

 

解析は始まったばかり。結果は乞うご期待!

 

たにまにあ

どうも、「岩本愁猴のスナックあぜみち」です。

 

前回、「iNaturalist」っていうアプリの話をしました。

これ、研究室の先生に紹介したら、その先生が他の学生にも広めてくれて、

今ではみんなで楽しんでいます。

先生も「これなら学生実験とかで、植物の分布を調べるのに使いたいな」と。

私も着々と観察記録を増やしておりますよ。

この時期はキノコの種類が豊富で楽しいですね!

 

 

信州に来て、はや三週間。

私が住む南箕輪村は天竜川流域にあり、一帯は伊那谷と呼ばれます。

日本を代表する二つの山脈が、屏風のように東西から谷を挟んでいます。

 

天竜川とその支流が大地を削り、河岸段丘ができています。

信州大学農学部のある河岸段丘の上は火山灰性の黒い土で、畑や果樹園が多い。

一方、河岸段丘の下の土壌は、山から運ばれてきた白っぽい土で、コメづくりが盛ん。

 

さらに、この辺りは養蚕や製糸業を昔からやっている。

明治の頃、伊那谷の糸は甲州街道を通って横浜へ、中山道を通って上州富岡へ運ばれたそうです。

古くは交通の要衝でもあり、馬を多く飼っていたこともあり、

今も馬肉が街中のお肉屋さんに普通に売られています。

かつては貴重なタンパク源だったでしょうね。

タンパク源と言えば、忘れちゃいけないのはムシたち。

農産物の直売所に行けば、豊富な野菜やキノコ類に交じって、

イナゴ、ザザムシ、ハチの子、カイコの蛹・・・

ごく当たり前に置いてあります。

 

正直、これまであまり印象が無かった地域だけど、ここは地域としてキャラが立ってます。

これからさらに探検を続けていきたいと思います。

 

 

信州は日本を代表する山々に抱かれた地域。

川が幾筋も流れ、谷を作ります。

この谷どうしが地図上では大した距離に見えなくても、

山を隔てたとなりの谷は、時間的、心理的にはずっと遠かったりするわけで。

谷ごとに、独自の景観と歴史を持っている。

 

一度、高速代をケチって、伊那から木曾、飛騨を抜けて福井に帰ったことがあります。

(高速なら中央道から名神経由で行くのが早いです)

日本の屋根を越えていくわけですから、たくさんの峠やトンネルを抜けなくてはならないのですが、

そのたびに、狭い谷とそこに身を寄せ合うようにして営まれる集落を目にするのです。

しぶきを上げて流れる川、風に揺れる白い蕎麦の花、両側から迫りくるような山々。

木曽路は全て山の中」でございましたよ、藤村先生。

 

 

谷をすみかにする、というのはなかなか合理的です。

集落の周りでは田畑を営み、背後の山からは燃料や、道具づくりの材料を得る。

水も引きやすいし、川を使って下流に物を運ぶこともできる。

水の流れを動力源にすることもできる。

二方もしくは三方に山があるため、外敵にしてみれば攻めにくい。

日照時間が短いのと、周囲の山々に降った雨が一本の川に集中するので水害が起きやすいのは、ツラいですが。

ひとつの谷は、贅沢はできないにせよ生活に必要なものを自給できるため、それだけでひとつの社会を構成しうる。

そして時に、谷を起点に新たな勢力が勃興することさえあります。

実際、源義仲は木曾の谷から天下を窺いましたし、越前の朝倉家は一乗谷の城下町を繁栄させ、時の将軍をも迎えました。

 

日本人の生活文化を知る上で、「谷」をひとつの単位として見るというのは、そうした歴史的事実から考えると、案外的を得ているように思うのです。

谷でどんな資源が得られ、逆にどんな資源は外部からの移入に頼らねばならないか。

これが、谷の生活様式の根本を決める要因となります。

そこに、気候変動や交通の発達、税制の変遷などの要因が加わって、谷の歴史が作られていくのではないでしょうか。

 

例えば、私が福井にいた頃お世話になっていた越前町の「熊谷」地区はどうか。

熊谷のある旧宮崎村は、千年以上前から焼きものを作っています。いわゆる越前焼です。

かつては熊谷でも作られていましたが、これまでの調査から時代によって産地が少しずつ移動してきたことが分かっています。

 

熊谷集落から少し山道を登ったところに、地元の人たちが「古熊谷」と呼ぶ谷があります。

今は谷全体が田んぼになっていますが、ここにかつて集落があり、中世には焼きものの一大産地になっていました。

実際、山の斜面を利用した登り窯の痕跡が幾つも発見されています。

焼きものをやるのにどうしても必要な資源は、陶土と燃料です。

これらは両方とも周辺の山々から得られたはずです。

 

ところが、室町時代ごろに産地は少し離れた別の場所に移っているらしい。

では、なぜこの地で焼かれなくなったのか。

陶土が手に入りにくくなったのか。

燃料となる木を採り過ぎてしまい、林の回復が追いつかなくなったのか。

それとも、別の場所により生産効率の良い窯ができ、そちらに移っていったのか。

越前焼自体の需要が減少した・・・わけでは無さそうです。この地域の焼きものづくりはちょっと離れたところで続いてはいるので。

そうなると、やはり資源の枯渇か、生産手段の変化が原因でしょうか。

 

 

そして今。

熊谷集落も例に漏れず、人口減少と高齢化が進んでいます。

しかし一方で、別の集落に住む若手のコメ農家が古熊谷の田んぼでコメづくりをしたり、

フィールド調査の為に京都から学生さんたちが来たり、

生きもの観察会や音楽イベントをやったり。

集落の住民と外部の人間が、これまでになく活発に交流しています。

 

谷がこれほど外の世界と繋がりを持つ時代は、いまだかつてありませんでした。

交通や通信の発達で、人は出ていきやすくもなるし、来やすくもなる。

その中で、谷の資源や環境について、これまで知らなかったこと、意識してこなかったことに気がつくはずです。

そうした気づきを蓄積・共有していけば、新たな集落の姿が立ち現われてくるのではないでしょうか。

 

 

越前の、信州の、日本の谷は、どこへ向かっているのか。

彼らがどんな資源を持ち、どんな生活を営み、周辺の地域とどう付き合っているか。

そんな視点で、谷の、地域のいまを、その行く末を、見ていきたいと思います。