家族的な,あまりに家族的な

日本の共同体は,家族的な結びつきを求める.
家族的な共同体は,その成員に状況に応じてあらゆる役割を期待する.
家庭ではメシを作り,掃除をし,子供や年寄りの面倒を見る.それが死ぬまで続く.
職場では数年おきに部署を移動し,本来の職務以外に様々な雑務が加わる.仕事終わりには飲みに行き,社員旅行もある.それが定年まで続く.
地域では草刈りをし,町内を見回り,電気柵を張る.会合では酒が出て,祭りや慰安旅行もある.それが死ぬか引越しするまで続く.
 
あらゆる仕事を経験することで,幅広い知識や技能が身につく.
他の成員と情緒的な人間関係を作ることで,いざという時に一致して行動できる.
一方,成員の能力の差は重視されず,専門性はあまり活かされない.
 
また,家族的な結びつきは,ヨソ者を厳しく区別する.
共同体の一員として認められない人たちに対しては,参加したり恩恵に与ったりする機会は制限される.
しかし今,従来の共同体に属さない層が増えつつある.
家族と離れて暮らす独居世帯や核家族世帯.
フリーターや派遣労働者
大学院に進み,就職が遅れた人たち.
フリーランスで働くその道のエキスパート.
60歳代まで家族的共同体の中で職務と育児という大役を果たしてきた人たちも,子供たちが独立し定年を迎えると共同体における役割を喪失することになる.
家族的共同体にはメリットも大きいが,それだけでは必然的に取りこぼしが多くなる.
 
一方,高齢化や人口減少で,多くの家族的共同体でマンパワーが目減りしている.
中山間地で生活や農業を営むには集落を挙げて水路の管理や除草作業,獣害対策に当たる必要がある.しかし,今後数年の間にその担い手は大きく減少するだろう.
また,私の住む福井県は,夫婦の共働き率が全国でも最高レベルだ.
これは,子育て中の夫婦がその親と同居,もしくは近くに住んでいるため,育児や家事の一部を親に委託できることが大きい.
高い共働き率と世帯年収は,家族(的共同体)による無償のサービスによって成り立っている.
共同体やそのサービスの維持は,そもそもの負担の大きさに加え,担い手の減少,前提となる生活様式の多様化などの課題を抱えている.
家族(的共同体)が担ってきた仕事の一部を解放し,新たな担い手に託すことが,社会を支える体制を今後も維持していく上で不可欠なのではないか.
学校終わりから親が帰宅するまでの間,子供の面倒を見るサービス.
農地や集落の草刈りや柵の設置を代行するサービス.
学業や部活動において,外部の専門家が指導をするサービス.
などなど.
 
家族的サービスが大きな負担になったり,それを享受する条件を満たさない人たちに不便を強いたりしていないだろうか?
そしてこの体制は,今後も持続できる見込みがあるのか?
この問への回答次第では,誰がどのようにサービスを担っていくべきか考え,先手を取って動かなくてはなるまい.